四谷 未確認 スタジオ。 荒れ地のアレロパシー

【個展】黒坂祐「荒れた庭、空っぽの部屋からの要請」@四谷未確認スタジオ

その実践は複数の異なる現実を統合するためのシンタクス(統語法)の発明であるように感じられます。 私は、ディスプレイの中の対象の事を「メタ・マテリアル」と名付ける。 それはヒト・スタイヤルが航空写真などを引き合いに出しながら述べるを、テクノロジーではなく個別の身体の次元で実践することを意味します。 邪魔だといって植物を刈るのではなく、人がそこをどいて新しい道を整備する。 彼はゲームや絵画、映像といったメディアを自由に行き来することで、鑑賞者と作品との対話の多様なあり方をやわらかに攪拌します。 綺麗や美しいと言う基準では測れない作品と共にいる自分を感じながら、それでも、これまでにない体験を感じながら今いる空間を楽しんでいることを確かめ、会場をあとにしました。 鈴木雄大 Yudai SUZUKI この度、四谷未確認スタジオにて鈴木雄大によるはじめての個展「すべてが透明になる前に」を開催いたします。

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鈴木雄大『すべてが透明になるまえに』

ここで重要なのは、空っぽの部屋、または何も描かれていない支持体が私に何を要請しているかということです。 2019年 東京芸術大学美術研究科油画専攻第三研究室修了。 色んな取組を同時に、自分の限られたハコの中で出し入れしていくようなイメージです。 たった1人、静かなスタジオで鑑賞しているのですが、音が消え、空気もなくなり、空間の中に浮遊する自分がいるような境地にたどり着いて、思考が止まるような瞬間もありました。 そのような事が可能だろうか?仮にディスプレイの向こう側に仕事を手助けしてくれるキャラクターがいると想定する。 株式会社バスユニット取締役。

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四谷未確認スタジオ運営記録:プロローグ|kurosakayu|note

庭に偶然生えた雑草とされるものを守るという選択だけを人がする。 かつて銭湯であった場所の個性が随所に残る手づくりの空間は、なんだか秘密基地のようでもあり、何度も通いたくなる居心地のよさがある。 主な個展に「いくつかのリズム、不活性な場所」(四谷未確認スタジオ、2020年)、「ひとつのところにいる」(space dike、2016年)、主なグループ展に「絵画・運動(ラフ次元)」(四谷未確認スタジオ、2018年)など。 メタの中にバグを少しだけ加える。 機械言語と人の言語をつなぐものたち。 それぞれの作品に目を移し、作品を塊として見ることや雑念ごと丸のみしてしまうことを行いました。

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【個展】黒坂祐「荒れた庭、空っぽの部屋からの要請」@四谷未確認スタジオ

雑念ごと丸のみしてしまう」と言うものがありますが、本個展ではそうした意識を強く持って鑑賞しておりました。 キャラクターによって不完全に再現された運動は再び現実世界にフィードバックされる。 椹木さんが推奨する美術鑑賞方法として「作品を塊として見る。 偶然にフォルムとフォルムを出会わせること、それらをフレーミングしたときにできあがる構図、私が主体となって行う作業はここまでです。 本展それ自体が、すべてがobjectに一元化された地平、つまり彼が「メタ・マテリアル」と呼ぶ地平からイメージを転移させるための方法であると言えるでしょう。

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YUS ARTISTS FAIR

布施琳太郎(キュレーション) ステートメント 近年私たちの身の回りには情報を映し出す板、「ディスプレイ」が至る所に溢れている。 ここからここまでを庭とすること、それは絵画におけるフレーミング。 本個展を鑑賞したのは少し以前で、記事にするまでに結構な時間が経過しております。 労働を創造に置き換える。 彼らはインターフェース Interface だ。 つまり絵をつくっていく主体は私ではないのです。

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四谷・曙橋のレンタル撮影スタジオ サロンヌアージュ

メタ・マテリアルはイメージではなく、ディスプレイの中で展開される現象の質だ。 脱衣場を改装した展示エリアから見えるすぐそこの場所には、タイルがむき出しの風呂場が雑然と放置されたようにありました。 本展では、さまざまな環境で発表を続ける作家らを紹介し、その多様性を検討します。 本展は5人のアーティスト、石毛健太、黒坂祐、齋藤恵汰、鈴木操、布施琳太郎がキュレーターとして選定した作家による、5つの独立した展覧会をひとつの空間内に展開いたします。 その一方で、最小限に描かれたオブジェクトから省略化された画像をイメージしてみたり、何らかのモノに変換してみたり、脳内で具現化したりすることも行っておりました。

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